現役時代は中日ドラゴンズのエースで巨人相手に闘志を燃やし『燃える男』として活躍しました。また、監督としては、中日ドラゴンズをリーグ優勝2回(88年、99年)、阪神タイガースをリーグ優勝1回(03年)、楽天イーグルスを日本一1回(13年)に導いた『闘将』星野仙一氏がすい臓がんで1月4日に70歳で逝去されました。
昨年、野球殿堂入りを果たし、12月には自身の『野球殿堂入りを祝う会』に出席しましたが、病気については明かさなかったそうです。
楽天球団は、突然の訃報となったのは「星野の意向であったこと、人前で強気であることを貫いた“星野仙一”のスタイルを最後まで全うしようとした結果である」とのことで、本人の意思で密葬となるという。最後まで弱音を吐かず、強く明るく振る舞った星野さんの男気を感じます。
星野元監督については、熱血漢で知られており中日ドラゴンズ時代はしばしば鉄拳を振ったり、試合中にベンチを蹴ったりと中日ファンにとって監督の人間らしく親しみの持てる人柄には絶大な人気がありました。
その当時の中日ドラゴンズの選手は、宇野、立浪、山崎、大島、小松、郭、鈴木孝など、個性的で面白い選手が多かったような気がする。また、成績は2位が多かったが、狭いナゴヤ球場の影響もあり、点を取られても、取り返すというゲーム運びは面白かった。最近の元気のない中日ドラゴンズを見ていると当時の熱気がずいぶんと懐かしく感じます。
中日ドラゴンズだけでなく、低迷していた阪神タイガースを優勝させ、また、東日本大震災で苦しむ東北の楽天イーグルスに日本一をもたらした星野さんは、球界を常に引っ張りながら一時代を築きあげながら、人々にいつも感動を与えてくれました。
早すぎる死は非常に残念でなりません。心よりご冥福をお祈りいたします。